賃貸相談
月刊不動産2025年3月号掲載
賃貸借契約に未記載の合意があることの主張の有効性
弁護士 江口 正夫(江口・海谷・池田法律事務所)
Q
当社は、貸ビルの一室を飲食用店舗として賃貸するにあたり、「臭気を発生するものは禁止」という特約付きで賃貸するよう、元付け仲介業者にリーシングを依頼しました。結果として、賃貸借契約書にはその旨の記載がなかったのですが、仲介業者を信頼して、臭気発生禁止を記載するよう仲介業者に指示したうえで、居酒屋との賃貸借契約書に記名押印しました。
契約後、テナントが臭気発生防止対策をしないので防止設備の設置を求めたところ、テナントは、当社との賃貸借を解除するとともに、当社が使用収益させる義務を怠ったとして、保証金や賃料の返還と、開業準備費用や今後の逸失利益を賠償せよと訴えてきました。
本件賃貸借契約は錯誤により無効だと主張したいと思いますが、認められるでしょうか。
A※記事の内容は、掲載当時の法令・情報に基づいているため、最新法令・情報のご確認をお願いいたします。
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まず、臭気発生禁止の特約が成立していたかについては、賃借人に伝わっているとの証拠がないこと、賃貸人自身が臭気発生禁止特約の記載がないことを認識しながら、賃貸借契約に記名押印していることからすると、臭気発生禁止特約が成立したとは認められないことになります。賃貸人が、臭気発生禁止特約のない契約書に記名押印するということは、契約書に記載の内容がそのまま契約内容となることの蓋然性が高いことは予測できる範囲であるため、賃貸借契約書に記名押印する前に、臭気発生禁止特約を契約書に追記することを求めていない以上は、仮に錯誤があったとしても、賃貸人には重過失が認められ、錯誤の無効主張は無理だと解される場合が多いと思われます。
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仲介業者に指示した内容と 賃貸借契約書の記載内容が 異なる場合
賃貸借契約を締結する場合、事前に仲介業者と打ち合わせしていた内容と、出来上がった賃貸借契約書の記載内容が異なっている場合もあり得ます。契約書に未記載の事項について、賃借人と口頭の合意が成立していると思って、未記載のまま賃貸借契約書に記名押印するとどうなるのかについては、検討しておく必要があります。
裁判例でも、カラオケ禁止、焼肉等強い臭気の発生するものは禁止、との条件で媒介を依頼したところ、客付け業者の物件チラシにはその記載はなく、賃貸人が、元付け業者にその旨の特約を合意させるよう求めた上で、カラオケおよび臭気発生禁止の特約のない賃貸借契約書に記名押印したという事案について、特約事項がテナントに伝わったとの証拠がないこと、特約事項の記載がないことを認識しながら調印していることからすると、特約が成立したとはいえないと判示し、特約の成立を主張したいのであれば、契約書に記名押印する前に、特約の追加記載を求めるべきだとしたものがあります(神戸地判平成15年3月28日)。
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錯誤の主張の可否について
上記神戸地裁の判決は、賃貸人は、本件特約付きの賃貸借契約を締結するつもりで、同特約の記載のない契約書に記名押印したものと認められるが、契約書に記名押印することにより、当該記載の内容がそのまま契約の内容になる蓋然性が高いことは容易に予測できるし、契約書に記名押印する前に、特約の追加記載を求めるべきであって、このような措置をとることなく、賃貸人が賃貸借契約書に記名押印しているとの事情からすると、賃貸人に錯誤が存するとしても、賃貸人には重過失が存すると認
められ、錯誤による無効となるものではない、と判示しています。 -
賃貸人の損害賠償の範囲