賃貸相談

月刊不動産2008年8月号掲載

賃貸ビルの譲渡と既存の賃貸借の承継

弁護士 江口 正夫(海谷・江口法律事務所)


Q

現在営業中の賃貸ビルの購入を予定しています。既存の賃貸借契約は何と何が承継されるのでしょうか。また、承継しないとの特約があれば、買主は賃貸借を承継しなくともよいのでしょうか。

A※記事の内容は、掲載当時の法令・情報に基づいているため、最新法令・情報のご確認をお願いいたします。

  • 1. 賃貸ビルの譲渡と賃貸借の承継

     賃貸事業ビルの所有権が現賃貸人から新賃貸人に譲渡された場合、新賃貸人が既存の賃貸借を承継するか否かは、譲渡されたビルの借家人が賃借権を新賃貸人に主張し得る対抗要件を有しているか否かにより決まります。

     賃借権の対抗要件は登記ですが、現行法では賃貸人には賃借権についての登記義務がないため、賃借権の登記を得ている借家人はまれです。このため、借地借家法31条は、「建物の賃貸借は、その登記がなくても、建物の引渡しがあったときは、その後その建物について物権を取得した者に対し、その効力を生ずる。」と定めています。

     したがって、譲渡された建物の借家人が前賃貸人と賃貸借契約を締結し、かつ、その引渡しを受けていれば、借家人は新賃貸人に対して、自己の借家権を対抗することができます。

    2. 借家権を対抗できる場合の法律関係

     借家人が従来から有している借家権を新賃貸人に対抗できるという意味は、前賃貸人と借家人との建物賃貸借関係が、そのまま新賃貸人と借家人との間に引き継がれ、前賃貸人は建物賃貸借関係からは離脱するということを意味します。

     例えば、前賃貸人をA、借家人をX、新賃貸人をBとすると、建物譲渡前のA-X間の賃貸借関係が、建物譲渡後はそのままB-X間の賃貸借関係になるという意味です。しかし、A-X間の賃貸借関係は、そのほとんどはBにそのまま承継されますが、例外的に承継されないものもあります。

    (1) 新賃貸人に承継されるもの

     ① 譲渡後の賃料

     建物譲渡後の新賃貸人Bとの間の賃料額は、従前の賃貸人であるAとの間で取り決められていた賃料額となります。仮に、A-X間で、賃料を一定期間増額しない旨の特約をしていた場合には、この特約も新賃貸人Bに承継されることになります。Bとしては、自分はそのような約束はしていないと言いたいところですが、原則として、前賃貸人との間の賃料に関する約定は承継することになります。したがって、建物の譲受人は譲渡前の賃貸人と借家人との間にどのような特約があるか否かを確認しておくことが必要となります。

     ② 敷金返還債務

     借家人が前賃貸人Aに敷金を預託していたときは、前賃貸人Aは借家人に対して、契約終了の際は敷金を返還する債務を負担していたわけですが、建物譲渡により敷金返還債務は建物の譲受人である新賃貸人Bに当然に承継されます。実務的には、A-X間で敷金返還債務の額を確認し、建物譲渡代金から敷金返還債務額を差し引いて売買代金の決済をするのが通常ですが仮にこのような敷金相当分を売買代金から差し引く処理をしていない場合でも、新賃貸人Bは当然に敷金返還債務を承継しますので、格別の注意が必要です。

     ③ 賃貸借の期間

     前賃貸借は原則としてそのまま承継されますので、新賃貸人Bとの間の賃貸借の期間も、従前のAとの賃貸借の残存期間のみが引き継がれることになります。

     従前の賃貸借A-X間で2年の賃貸借契約をしていた場合で、1年2か月後にAからBに賃貸建物が譲渡された場合には、残存期間である10か月がB-X間の賃貸借の期間となります (10か月が経過すると更新時期を迎えることになります) 。

    (2) 新賃貸人に承継されないもの

     ① 保証金返還債務

     敷金の性質を有しない保証金 (例えば建設協力金としての性質を有するものや賃料の数十か月分に相当する高額の預託金等)は、承継されません。

     ② 建物譲渡前の賃料

     建物譲渡後の新賃貸人Bが賃貸借を承継した後の賃料はBに引き継がれますが、建物譲渡前、すなわちBが賃貸借を承継する前の期間分の賃料は、既に発生してしまっている金銭債権ですから、これは賃貸借の承継とは別問題となります。借家人Xが、Bが賃貸借を承継する前の期間分の賃料を滞納していた場合は、Bではなく前賃貸人であるAのみがこれを請求できることになります。

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