賃貸相談

月刊不動産2009年8月号掲載

賃借権の登記の要求

弁護士 江口 正夫(海谷・江口法律事務所)


Q

貸ビルの1室を賃借しているテナントから、賃借権の登記を要求されています。賃借権の登記をすると、借家権は自由に譲渡されてしまうのでしょうか。賃借権の登記請求に応じる必要はあるのでしょうか。

A※記事の内容は、掲載当時の法令・情報に基づいているため、最新法令・情報のご確認をお願いいたします。

  • 1.賃借権の登記

     一般に、物権については登記制度が整備されており、所有権や地上権、抵当権などの物権については登記請求権が認められています。

     賃借権は、法的性質は物に対して直接に支配する権利としての物権ではなく、賃借対象物の所有者等との間で賃借人が使用収益することを約束する、人に対する権利としての債権とされていますが、民法では賃貸借を登記したときは、賃借権は対抗要件を取得するものと定めており、賃借権についても登記ができることが前提とされています(民法第605条)。

    (1) 賃借権の登記請求権の有無

     それでは、賃借人は、賃貸人と賃貸借契約を締結したときは、賃貸人である建物所有者に対して当然に賃借権の登記を請求できるかといえば、賃借人は当然には賃貸人に対する登記請求権を有しているわけではありません。所有権や地上権、抵当権等の物権を有している権利者は、当然に登記請求権を有しているのですが、賃借権は当然には登記請求権が認められていないのです。この点が物権と債権である賃借権との違いです。

     このことは、逆にいえば、賃貸人は、賃借人との間で建物賃貸借契約を締結したからといって、それだけでは賃借人に対して賃借権の登記をすべき義務はないことになります。建物賃貸借は、登記を経由しなくとも、建物の引渡しを受けることにより対抗要件を具備することが認められており(借地借家法第31条1項)、賃借権に登記請求権が認められていないからといって、格別の不利益があるわけではありません。

    (2) 賃借権の登記請求が認められる場合

     賃貸借契約が締結されたというだけでは、賃借権の登記請求権は認められていないのですが、賃貸借契約の当事者間で、賃借権の登記をなす旨の特約をした場合には、賃貸人には契約上の登記義務が認められることになります。したがって、この場合には、賃借権の設定登記手続は、登記手続の一般原則に従い、賃貸人を登記義務者、賃借人を登記権利者として、賃貸人と賃借人の共同申請により行うことになります。

    (3)  賃借権の登記が可能となる前提条件

     賃借権の登記も、不動産登記法に従うのですから、不動産の一部についての登記は認められません。したがって、1棟の建物の一部を賃借した者の賃借権を登記するという制度は我が国にはありません。賃借権の登記は、1棟の建物すべてに賃借権を有しているか、あるいは賃借した建物が区分所有建物であり、区分所有権が認められる専有部分についての賃借権を有している場合には認められますが、御質問のケースのように、貸ビルの中の1室だけを賃借した賃借人の賃借権は、その貸ビルが区分所有建物でない限り登記することができません。

    2.賃借権の登記と賃借権の譲渡

     賃借権の登記は、当該建物に対する賃借権を第三者に対して公示するわけですから、賃借権を登記したことにより賃借権の譲渡が自由にできるようになるのではないかとの懸念をもたれることがあります。

     しかし、民法第612条は、賃借権の譲渡は賃貸人の承諾を得なければならないと定めており、賃借権の登記をしたからといって、それだけで賃貸人の承諾を得なくとも賃借権の譲渡ができるようになるわけではありません。賃借権の登記をしても、譲渡や転貸ができるか否かは別問題であり、賃借権の譲渡や転貸には、本則に立ち返り、賃貸人の承諾が必要であることに変わりはないのです。

    3.賃借権の譲渡・転貸を許容する特約の登記

     賃借権の登記をするに当たって、賃借権の譲渡又は転貸を許容する旨の特約を登記することができます。このように、賃借権の譲渡又は転貸を許容する特約が登記されている場合には、民法第612条の賃貸人の承諾はあらかじめ包括的に与えられていると判断されますので、賃借人は、賃借権の譲渡又は転貸をなすに当たっては、その都度賃貸人の承諾を得ることなく、自由に行うことが可能になります。

     賃借人が賃借権の登記を求める場合には、併せて譲渡又は転貸を許容する特約の登記も求めてくる場合があります。賃貸人としては、登記請求に応ずるか否かを判断するとともに、仮に登記に応ずるとしても、譲渡又は転貸許容特約の登記に応ずるか否かを意識しておく必要があります。

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