賃貸相談
月刊不動産2012年11月号掲載
貸主による供託賃料還付請求時の留意点
弁護士 江口 正夫(海谷・江口法律事務所)
Q
賃料の増額請求をしたところ、借家人は従前と同額の賃料を供託するようになり既に2年が経過しています。貸主としては供託金の還付を受けたいのですが、何か問題になるのでしょうか。
A※記事の内容は、掲載当時の法令・情報に基づいているため、最新法令・情報のご確認をお願いいたします。
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1.賃料の増額請求と賃料の弁済供託
(1)賃料の増額請求後に借家人が支払うべき賃料
額借地借家法32条1項は、賃貸借契約で合意した賃料が一定の経済事情の変動により、または近傍同種の建物の賃料に比較して不相当となったときは、契約の条件にかかわらず、当事者は将来に向かって賃料の増減を請求できると定めています。
したがって、経済事情は土地建物の公租公課や不動産価格も下落気味であり、一般的に賃料も低下傾向にあるとしても、賃貸借契約締結当時の特殊な事情により賃料が近傍同種の建物の賃料に較べて余りに低額であり不相当となっているような場合には、賃料の増額請求が認められる場合があり得ます。
このような場合に、貸主が賃料の増額請求を行ったものの、借家人との間で賃料についての合意が成立せず、賃料の適正額をめぐって争いが生じることは巷こうかん間よく見られるところです。借地借家法32条2項は、「建物の借賃の増額について当事者間に協議が調わないときは、その請求を受けた者は、増額を正当とする裁判が確定するまでは、相当と認める額の建物の借賃を支払うことをもって足りる。」と定めています。借家人において「相当と認める額」とは、通常は従前の賃料額ということになりますので、賃料増額請求を受けて増額の範囲を争う賃借人は、とりあえず従前の賃料額を支払えば足りることになります。
(2)従前賃料額の提供に対する貸主側の対応
貸主が賃料の増額請求をした場合に、借家人が増額に応じず従前と同額の賃料を持参した場合、貸主としては、従前の賃料額をそのまま認めるわけにはいかないため、「持参した賃料は受け取るが、それはあくまで賃料の一部としてである。」と対応するのが一般的だと思います。この場合に、借家人としては、賃料の一部として支払うことはできないでしょうし、結局のところ、貸主は賃料の全部としてであれば受け取らないと言っているのと同じであるため、賃料額を供託することができると解されています(東京高判昭和61年1月29日・判例時報183号88頁)。
2.貸主による供託金還付請求の問題点
賃料の増減請求がなされた場合の紛争は長期間継続することも多く、賃料の供託もそれだけ長期間にわたることがあります。貸主としては、その間、賃料を現実的には入手できず、借家人が供託した供託金の還付を受けたいと考える場合があります。賃料の増額請求をしたところ、借家人は従前と同額の賃料を供託するようになり既に2年が経過しています。貸主としては供託金の還付を受けたいのですが、何か問題になるのでしょうか。
この場合に問題となるのは、借家人は賃料の全額であるとして供託しているのですから、貸主が何らの留保もつけずに還付請求した場合には、貸主も供託された額が賃料の全額であると認めたことになるのではないかという点です。最高裁の判例においては、貸主が何らの留保もせずして供託金の還付を受けたときは、以後は増額請求をした額との差額を請求することができないとしていますので、供託額を賃料であると認めたに等しいこととなってしまいます(最判昭和33年12月18日)。
したがって、貸主が増額請求後の供託賃料の還付請求をするには、これによって供託額を賃料であると認めたものと判断されることのないように留意する必要があります。
3.実際の貸主側の対応
前記の最判は、貸主が何らの留保もせずして供託金の還付を受けたときは、供託額を賃料であると認めたものと扱われるというものですから、貸主が供託金の還付を請求するに当たり、何らかの留保の意思を明らかにしておけばよいということになります。
問題は、どのようにしておけば、留保の意思を明らかにしたといえるかという点です。これについては、最高裁は貸主が留保の意思を示したものと扱われる場合として3つのケースを示しています。
1つ目は、貸主が、供託金を増額した賃料の一部として受領するので供託書を貸主に送付せよと通知した場合です(最判昭和36年7月20日)。
2つ目は、貸主が上記の賃借人に対する通知書を添付して供託金還付請求をした場合です(最判昭和38年9月19日)。
3つ目は、貸主が、供託金を上回る額の賃料増額請求訴訟を提起し、供託金を受領するまで、訴訟が継続している場合です(最判昭和42年8月24日)。
したがって、貸主が供託金を何らの留保もすることなく還付請求を行い、これを受領することは、実質的には増額請求の撤回と見られる結果となる場合がありますので、必ず留保の意思を表明する必要があります。