賃貸相談
月刊不動産2014年3月号掲載
家賃の増額と賃借人の妻の承諾
弁護士 江口 正夫(海谷・江口法律事務所)
Q
家賃の増額を請求しましたが、賃借人が仕事で忙しいらしく滅多に会うことができないため、その妻との間で増額を合意しました。妻との合意では値上げは認められないのでしょうか。
A※記事の内容は、掲載当時の法令・情報に基づいているため、最新法令・情報のご確認をお願いいたします。
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1.家賃の増額の合意の当事者
賃貸借契約を締結した当事者は、賃借人である夫ですから、賃料の増額等の賃貸借契約の内容の変更については、契約当事者である賃借人本人と交渉し、合意するのが原則であることはいうまでもありません。たとえ、妻であるといっても、賃借人本人とその妻とは別人格だからです。
したがって、例えば賃貸事業用ビルの賃貸借契約において、賃料の増額請求をする際に、賃借人である事業者本人と面談ができないからといって、賃借人である事業者の妻との間で値上げの合意が成立したとしても、それは賃借人本人との合意ではありませんから、値上げの効力を生ずる余地はありません。
賃貸借の目的が賃貸事業用ビルではなく、アパートやマンションのように居住用建物である場合でも、原則的には賃借人本人との合意をすべきです。ただし、居住用建物の場合には別の考慮が働くことも事実です。なぜなら、居住用建物は賃借人である夫と妻の日常生活の場であり、夫婦の共同生活の維持のためになされた賃貸借契約であるとみられるからです。この場合には、夫婦の日常家事に関する債務の連帯責任を定めた民法第761条の適用が問題となります。
2.夫婦間の日常家事債務の連帯責任
民法第761条は、「夫婦の一方が日常の家事に関して第三者と法律行為をしたときは、他の一方は、これによって生じた債務について、連帯してその責任を負う。ただし、第三者に対し責任を負わない旨を予告した場合は、この限りでない。」と定めています。この規定は、婚姻生活の経済的共同性を踏まえて、夫婦と取引をする第三者との対外関係において、夫婦の共同生活の維持に関して生じた債務については夫婦が連帯責任を負う旨を定めたものです。
もっとも、夫婦といえども別人格ですから、夫婦が連帯責任を負う根拠については、最高裁の判例は「その明文上は、単に夫婦の日常家事に関する法律行為の効果、特にその責任についてのみ規定しているに過ぎないけれども、同条は、その実質においては、さらに右のような効果の生じる前提として、夫婦は相互に日常の家事に関する法律行為につき他方を代理する権限を有することをも規定していると解するのが相当である。」(最判昭和44 年12 月18 日) との判断を示しています。3.家賃の値上げと日常家事範囲
問題は、ある行為が日常家事に該当するかの具体的な判断基準です。日常家事とは、「未成熟の子を含む夫婦の共同生活に必要とされる事務」と考えられますので、家族の食料、水道光熱費、衣料の購入や、医療費、子供の養育・教育費、家具等の購入費のほか、家賃の支払い等が含まれることにほぼ異論はありません。問題は家賃の増額です。これについては、夫婦の一方が他方に対して、その者が負担する支払義務を加重させるものですので、日常家事の範囲に含まれるかは慎重に判断する必要があります。
日常家事の範囲は、夫婦の職業、資産、収入、社会的地位等からみて当該夫婦の共同生活維持のための相応の行為か否かという観点も考慮されますが、前記最高裁の判例は、「問題になる具体的な法律行為が当該夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属するか否かを決定するに当たっては、同条が夫婦の一方と取引関係に立つ第三者の保護を目的とする規定であることに鑑み、単にその法律行為をした夫婦の共同生活の内部的な事情やその行為の個別的な目的のみを重視して判断すべきではなく、さらに客観的に、その法律行為の種類、性質等をも十分考慮して判断すべきである。」と判示しています。
債務の負担という観点からは、一般的に高額・高金利の金銭借入れは日常家事の範囲外であるとされています。また、クレジット契約においても収入に見合わない額の契約は日常家事の範囲外とされています。
逆に、夫婦の一方がした借金であっても、子の医療費と台所の改造に要した借財は日常家事の範囲とした裁判例があります。また、クレジット契約においても購入した商品が日常家事に用いられるものである場合には、クレジット契約が日常家事に含まれるとする裁判例が多くあります。このような考え方からすると、夫婦の共同生活のための建物賃貸借において、相当と考えられる範囲の増額については、日常家事に含まれると判断される可能性が高いものと考えられます。いずれにせよ、増額の合意は賃借人本人と行うことを心掛けることが必要です。