賃貸相談
月刊不動産2010年8月号掲載
家賃の供託とその後の処理
弁護士 江口 正夫(海谷・江口法律事務所)
Q
近隣に比べ家賃が格安となっていましたので入居者に値上げを請求したところ、入居者が従前の家賃額を法務局に供託したとの通知が届きました。私は供託された家賃を受け取っても問題ないのでしょうか。
A※記事の内容は、掲載当時の法令・情報に基づいているため、最新法令・情報のご確認をお願いいたします。
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1.家賃の供託制度
(1) 賃料の増減額請求権の行使
アパートの賃貸借契約では、入居者との間で家賃の額が合意されています。契約で合意した家賃額ですから、当事者はこれを遵守する義務があるのですが、借地借家法では、経済事情の変動や近隣の賃料と比較して現行の賃料が不相当となっているときは、契約期間中であっても賃料の増減額請求権を行使することができると定めています(借地借家法第32条 )。御質問者の値上げの請求は、この借地借家法第32条の賃料増額請求権を行使したと考えることになります。
(2) 賃料増減の効果の発生時
賃料増減額請求権は、法律上は、当事者間の法律関係を形成する「形成権」と考えられており、賃料増減額請求権を行使する意思表示が相手方に到達した時点で、既に賃料増減額の効果が発生すると考えられています。いくらに増減されたかについては、まずは当事者間の協議によって決めることとされています。協議が成立して新賃料額が決定されると、その新賃料は、増減額請求権が相手方に到達した日にさかのぼって適用されることになります。当事者の協議が成立しなければ、賃料増減額請求調停を提起し、調停も成立しない場合には、賃料増減額請求訴訟で最終的に解決することになります。
(3) 家賃の供託
賃料増減額請求権が行使されると、何らかの増減の効果は既に発生しているのですが、幾らに増減されたかは、後日の協議の成立、調停の成立又は判決を見ない限り実際には分かりません。
もし増額請求権の行使により、実際には賃料が1割程度増額されていたとすると、借家人が従前賃料しか支払っていなければ毎月1割程度の賃料の一部不払という債務不履行をしていることになってしまいます。
そこで、このような場合に債務不履行責任を免れるために、家賃の供託が行われます。借家人は、実際に増額された賃料額が決定されるまでの間は、少なくとも従前賃料を支払う義務があるものとされ、従前賃料額の供託が行われます。供託した額が、将来、増額された家賃額に満たないときは、借家人はその差額に1割の割合による支払期限後の利息を付して支払わなければならないものとされています。
2.借家人による供託金の取戻し
家賃が供託された場合の法律関係は、いわゆる「第三者のためにする契約」と認識されており、被供託者である賃貸人には供託された家賃の還付請求権が認められます。
他方において、供託した借家人は、供託した家賃については供託金取戻請求権が認められています。民法第496条1項には、「債権者が供託を受諾せず、又は供託を有効とした判決が確定しない間は、弁済者は供託物を取り戻すことができる。」と定められています。「債権者」とは賃貸人、「弁済者」とは供託した借家人を指しますので、借家人は供託した家賃を取り戻すことができるのです。ただし、供託金を取り戻した場合は、「供託をしなかったものとみなす。」(民法496条1項ただし書)と定められていますので、借家人は家賃を支払わなかったものとみなされてしまいます。
3.賃貸人による供託金還付請求権
賃貸人は、借家人が供託した家賃について、供託金還付請求権を有しています。したがって、被供託者(賃貸人)は、供託物還付請求書に記名捺印し、供託書正本等を添付して供託物の還付を受けることが可能です。供託金を受け取ることはできるのですが、供託されている家賃額は値上げ前の従前賃料額です。これを無条件で受け取ると、賃貸人は、家賃を従前賃料額とすることに同意したと判断されるおそれがあります。
そこで、供託金を受領する際の還付請求書に、供託は受諾するが、賃料の一部として受領する旨を留保する文言を記載することになります。実務上の処理としては、賃貸人が、借家人に対し、供託金は賃料の一部弁済金として受領する旨を記載した内容証明郵便による通知を発送しています。判例は、このような措置を講じた上で、賃貸人が供託金を受領することにより、還付金は債権の一部に充当されたものとしています。