賃貸相談
月刊不動産2007年6月号掲載
借家人の相続開始後の処理方法
弁護士 江口 正夫(海谷・江口法律事務所)
Q
家賃を滞納していた借家人の女性が死亡し、現在は同居していた長男が居住しています。家賃は誰に請求すればよいのでしょうか。賃料滞納を理由に契約を解除する場合は誰を相手にすればよいのですか。
A※記事の内容は、掲載当時の法令・情報に基づいているため、最新法令・情報のご確認をお願いいたします。
-
1.借家権の相続
建物の賃貸借契約の当事者である賃借人が死亡した場合には、賃貸借契約は終了するのではなく、相続人に承継されることになります。使用貸借の場合には借主の死亡により終了すると定められていますが(民法599条)、賃貸借の場合には借家権自体が相続財産の1つと考えられているからです。
借家権が相続されるということは、賃料の支払債務も相続により相続人に引き継がれることになります。そこで、滞納賃料を誰に請求すればよいのかが問題になりますが、これは相続開始までに発生していた滞納賃料と相続開始後に発生した滞納賃料とに分けて考える必要があります。
2.滞納賃料の請求の相手方
(1)死亡時点で既に発生していた未払賃料
死亡前の時点で滞納していた賃料は、相続発生の時点で既に具体的な金銭債務となっています。例えば家賃9万円で死亡前に3ケ月分を滞納していた場合には、未払賃料ではありますが、既に合計27万円の金銭債務として具体的に発生しています。この27万円の金銭債務が相続されたものとみるべきことになります。
この場合の金銭債務は分割可能なものですから、相続により、法定相続分の割合で各相続人に帰属します。例えば、亡くなった賃借人の相続人としてA、B、Cの3人の子がいたとすれば、各相続人の法定相続分は3分の1ですから、27万円の3分の1である9万円ずつ債務を相続することになります。逆にいえば、3人の子のうちの誰か特定の者(例えば長男のAだけ)に対して27万円を請求するということはできません。
つまり、被相続人と同居し、賃貸建物に居住している長男だけが滞納賃料全額の支払義務を負うわけではなく、相続人が複数いれば、賃貸建物に居住していない相続人に対しても法定相続分により分割した金額を請求しなければならず、その分は長男に請求することはできません。このように各人に分割して帰属する債務を「分割債務」といい、賃借人が死亡前に滞納していた賃料債務は分割債務として相続人に承継されます。
(2)相続開始後に発生する賃料
相続が開始後、遺産分割協議成立前までの間の賃料支払債務は分割債務ではなく不可分債務として各相続人がそれぞれ全額の支払義務を負うことになります。その理由は、相続開始後は相続人は賃貸建物の借家権を相続分に応じて準共有することになるからです。この場合の家賃の支払債務は、賃貸建物の使用収益という不可分的な給付の対価としての性質を有するため、判例では反対の事情が認められない限り性質上「不可分債務」とされています。
したがって、この場合には、賃貸人は家賃の全額である9万円をA、B、Cのいずれに対しても請求することができます。賃貸人としてはA、B、Cの誰から支払を受けても構わないわけですから、Aから9万円を受け取ろうと、Bから9万円を受け取ろうと自由であるということになります。
(3)遺産分割完了後の家賃の請求
これに対して、相続人間の遺産分割協議の成立により借家権を相続する者が決定すると、以後はその者のみが賃料支払債務を負担することになります。
このように、賃借人の相続の場合には、(a)相続開始前に発生していた未払賃料、(b)相続開始後、遺産分割前までの間の未払賃料、(c)遺産分割完了後の未払賃料という時間の経過に伴って、請求する相手方が異なることになりますので注意が必要です。
3.相続開始後の賃貸借契約解除
相続開始後も滞納賃料が解消しない場合には賃貸借契約を解除することになります。相続開始後、遺産分割協議成立前の時点では、借家権は各相続人が共同相続していることになります。この場合に注意すべき点は、「解除権不可分の原則」です(民法544条)。契約当事者が複数いる場合には、契約解除の意思表示は共同賃借人の全員に対してしなければ効力を生じないものとされています(最高裁昭和36年12月22日)。
これに対し、遺産分割協議が成立していれば、分割により借家権を相続した相続人に対して意思表示をすれば契約の解除は可能となります。