賃貸相談
月刊不動産2008年10月号掲載
家賃滞納による解除と賃借人からの相殺
弁護士 江口 正夫(海谷・江口法律事務所)
Q
借家人の家賃滞納を理由に催告の上、契約を解除したところ、借家人は、家主に代わって支出した修繕費と滞納家賃とを相殺するので、解除は無効だといっています。相殺が優先するのでしょうか。
A※記事の内容は、掲載当時の法令・情報に基づいているため、最新法令・情報のご確認をお願いいたします。
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1. 賃料滞納を理由とする契約解除
賃貸借契約を締結している以上、借家人は賃料支払義務を負っています。万一、借家人が賃料を滞納した場合は、それが信頼関係を破壊するに足りるものであれば(通常は、3か月分以上の賃料の滞納がこれに該当するものと考えられています) 、賃貸人は契約を解除することができます。
その際には、賃貸人は、借家人に対し、相当期間を定めて賃料の支払を催告し、相当期間内にその支払がなかった場合に契約の解除が認められるものとされています。ご質問のケースでは、催告の上、契約を解除したとのことですから、本来であれば、契約の解除は有効と考えられるところです。
これに対し、 借家人の主張は、家主に代わって賃借建物の修繕を借家人自らが行ったので、家主に対して修繕費用を請求する債権を有しており、この修繕費用の請求権と未払の賃料債務を相殺するということです。相殺をすることによって、修繕費と滞納賃料とは共に消滅するので、賃料滞納は解消したことになるはずだというのが、借家人の言い分だと思われます。
2. 借家人の賃貸人に対する修繕費の請求権の存否
まず問題になるのは、借家人が賃借建物の修繕を行った場合、賃貸人に対して、修繕に要した費用を請求できるのか否かです。
(1) 賃貸人の修繕義務
民法では、賃貸人は、賃貸物の使用及び収益に必要な修繕を行う義務があると定めています(民法606条1項)。したがって、賃貸人は、賃貸建物に施す修繕のすべての費用を負担するわけではなく、「賃貸物の使用及び収益に必要な修繕」について修繕義務を負うことになります。
そこで、何が「賃貸物の使用及び収益に必要な修繕」に該当するかが問題になります。建物の修繕を、いわゆる 「大修繕」 「中修繕」 「小修繕」とに区分けした場合、建物の主要な構造部分の損傷等の「大修繕」については、賃貸物の使用及び収益に必要なものと言うべきですし、いわゆる「中修繕」の範疇(はんちゅう)に属するものには水道管の交換等が該当しますが、これもやはり「賃貸物の使用及び収益に必要な修繕」として賃貸人が負担すべきものと考えられています。
これに対し、ふすまの張り替えのように、日常的な生活に随伴するもので、賃借人の使用の仕方にも密接に関連するようなものは「小修繕」として、借家人に修繕義務があると考えるのが一般的と思われます。
(2) 修繕費の負担
仮に賃貸人の負担に属する修繕を借家人が自ら行った場合には、民法は、賃借人が賃借物につき賃貸人の負担に属する必要費を支出したときは、賃貸人に対して直ちにその償還を請求することができると定めていますので(民法608条1項)、借家人は賃貸人に対して修繕費相当額の支払請求権を有することになります。
相殺は、双方の債務の弁済期が到来していることが要件ですが、賃貸人に対する修繕費相当額支払請求権は「直ちに」支払う必要があるとされていますので、弁済期は到来していることになります。
3. 相殺前にした契約解除の有効性
借家人が、本来賃貸人が行うべき修繕を賃貸人に代わって行った場合には、賃貸人に対して修繕費相当額の支払請求権を有しており、しかも弁済期も到来していますので、未払賃料支払債務と、修繕費相当額支払債務とを対当額で相殺することは、格別の相殺禁止の特約がない限りは可能なはずです。しかし、借家人は、賃貸人から滞納賃料の催告を受け、契約解除の意思表示を受けるまでの間に、相殺の意思表示をしていません。民法では、相殺の意思表示をすると、相殺の効力は相殺ができる状態(相殺適状)が発生した時点までさかのぼって効力を生じることになっています(民法506条2項)。しかし、解除時点では賃料滞納が解消していなかったことは事実ですので、判例では、適法に解除された後、借家人の相殺の意思表示によって賃料支払債務がさかのぼって消滅したとしても、既になされた契約解除の効力に影響はないものとしています。