賃貸相談
月刊不動産2011年1月号掲載
借家人の過失による修繕箇所の発生
弁護士 江口 正夫(海谷・江口法律事務所)
Q
借家人Aの過失でアパートが火災になり、アパートのAの居室と両隣の部屋が損傷しました。両隣の借家人から床、壁、天井の張り替えを求められています。この修繕費用は誰が負担すべきなのでしょうか。
A※記事の内容は、掲載当時の法令・情報に基づいているため、最新法令・情報のご確認をお願いいたします。
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1.失火の責任に関する法律
両隣の部屋の損傷は、同じアパートの借家人Aの過失により火災が発生したことによって発生したものですから、両隣の住人は、まずは火災を発生させた原因者であるAに対して、床、壁、天井の張り替え費用を請求したいと考えるものと思います。
しかし、両隣の住人が、隣室に住むAに対して損害賠償を請求する場合には、Aと両隣の住人との間には契約関係がありませんので、契約違反を理由とする損害賠償請求ができません。この場合には、Aの過失によって両隣の住人の権利(財産権)が侵害されたことを理由として、それが「不法行為」(民法709条)であることを根拠に損害賠償を請求することになるはずです。
ところが、我が国には「失火ノ責任ニ関スル法律」(以下「失火責任法」といいます。)という法律があり、「民法第七百九条ノ規定ハ失火ノ場合ニハ之ヲ適用セス 但シ失火者ニ重大ナル過失アリタルトキハ此ノ限ニ在ラス」と定められています。つまり、失火により火災を発生させた場合には、原則として不法行為責任を問うことはできず、失火者に故意又は重大な過失がある場合に限り、例外的に不法行為責任を問うことができるというものです。この法律は明治時代の木造建築による住宅密集地域が多かったことを背景に、失火の場合に不法行為責任を肯定すると、失火者に過酷な責任を問うことになるとの考え方に基づくものといわれています。現在では、市街地の状況は明治時代とは大きく異なってはいますが、失火責任法は現在でも生きている法律です。
したがって、両隣の住人は、火災を発生させたAに対して、不法行為を理由とする損害賠償請求をすることができません。両隣の住人からすると、賃貸人に対して修繕を要求するしか方法がないということになります。賃貸人は、借家人Aの過失によって発生した火災により被害を被った両隣の住人からの修繕請求に対し、火災を発生させたのはAであるからAに対して請求せよと主張して、自分の責任を免れることは認められません。失火責任法により、Aは故意又は重大な過失によって火災を発生させたのでない限り、両隣の住人に対して損害賠償責任を負わないからです。
2.修繕費用の負担に関する原則
賃貸建物に修繕の必要な箇所が発生した場合に、建物を実際に使用している借家人が修繕費を負担するのか、それとも賃貸人が修繕費用を負担するのかについては、民法に原則的な規定が置かれています。民法606条では、賃貸人は賃貸物の使用収益に必要な修繕をする義務を負うものと定めています。
この規定からすると、修繕が必要となった原因が誰にあるかは別として、現実に修繕が必要な箇所がある以上は、賃貸人がその修繕義務を負うということになります。その理由は、賃貸人は、いやしくも賃料を受領して建物を賃貸する以上、賃貸目的物を賃借人の使用収益に適する状態にした上で賃貸する義務があり、賃貸目的物が賃借人の使用収益に適しない状態が生じた以上は、その原因が賃貸人の責に帰すべき事由により生じたか否かを問うことなく、賃貸人において修繕すべきであるとするものです。
民法の修繕義務の原則からすれば、賃貸人は、火災の発生に関しては何らの過失がないということを理由として、修繕請求を拒否することはできないと解せられます。修繕請求がなされる限りは、賃貸人はこれに応じざるを得ないものと考えられます。
3.賃貸人の借家人Aに対する損害賠償請求
賃貸人は、借家人Aの過失により、自己の所有する建物を損傷させられたことになりますが、賃貸人が火災により被った損害につき、借家人Aに対して損害賠償請求することは可能です。
なぜなら、失火責任法は、不法行為の規定を適用しないというものにすぎないからです。賃貸人と賃借人Aとの間には賃貸借という契約関係が存在しており、賃貸人は、借家人Aに対し、不法行為を理由とするのではなく、債務不履行を理由とする損害賠償請求が可能です。