賃貸相談

月刊不動産2015年2月号掲載

借家人の失火による損害

弁護士 江口 正夫(海谷・江口法律事務所)


Q

アパートの入居者の失火で、同人の居室と両隣の居室が焼けてしまいました。この場合の損害賠償はどのように行うことになるのでしょうか。

A※記事の内容は、掲載当時の法令・情報に基づいているため、最新法令・情報のご確認をお願いいたします。

  • アパートにおいて、借家人の失火によりアパートが損傷したという場合には、焼け出された他の居室の入居者から火災を発生させた借家人に対して損害賠償を請求する局面と、賃貸人が自己の建物を焼かれたことに対する損害賠償を請求する局面とがあり得ます。

    1. 失火責任と不法行為に基づく損害賠償請求

    まず、焼け出された他の居室の入居者が火災を発生させた借家人に損害賠償を請求する場合ですが、他の居室の入居者と火災を発生させた借家人との間には何らの契約関係はありませんから、契約違反を理由とする損害賠償請求はあり得ません。契約関係にない相手方から損害を受けた場合には、民法は、「故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。」と定めていますので(民法709条)、他の居室の入居者は、不法行為を理由に、火災を発生させた借家人に対し、損害賠償請求ができるのかということが問題となります。

    普通に考えれば、火災を発生させた借家人は、「過失によって」、「他人」である他の居室の入居者の居室内の財産などの「他人の権利」を侵害して損害を与えたのですから、不法行為を理由とする損害賠償請求を規定した民法709条の要件を満たしているように思えます。

    (1)失火責任法による制限

    しかし、わが国には、失火で他人の権利を侵害した場合には、「失火ノ責任ニ関スル法律」(明治32年施行。「失火責任法」と略称されている)という法律があります。この法律はわずか1条のみの法律ですが、失火責任法1条は、「民法第709条ノ規定ハ失火ノ場合ニハ之ヲ適用セス但シ失火者ニ重大ナル過失アリタルトキハ此ノ限ニ在ラス」と定めています。要するに、本来であれば、過失により火災を発生させた者は、原則として、過失により他人の権利を侵害した者に該当し不法行為による損害賠償請求が認められるはずですが、失火の場合には、通常の過失では不法行為の適用を認めず、失火者に重大な過失がある場合に限って不法行為の規定が適用されるというものです。

    この法律の趣旨は、失火責任法の立法当時、わが国では木造建築物が多く、しかも密集している場合も少なくなく、かつ当時の防火性能や消防能力も必ずしも十分とはいえなかったことから、火災が発生した場合の類焼による被害の拡大が著しく、これらの被害の賠償を失火者に求めることは苛烈を極めるものと考えられ、同時に、失火者も自己の財産を失っていることが通常であり賠償能力も失っていると考えられることなどにあります。このような立法当初の事情は、昨今の耐火建築物の普及や防災・消防能力の充実した現在とは異なるところもありますが、失火責任法は現在でも生きている法律です。
    したがって、他の居室の入居者は火災を発生させた借家人に対しては、当該借家人に重大な過失が認められる場合でなければ、損害賠償を請求することはできません。

    (2)失火責任法における「重大な過失」

    それでは、どのような場合に「重大な過失」が認められるかですが、①天ぷら油の入った鍋をガステーブルにかけたまま台所を離れ放置したケース、②異常乾燥時の火災警報発令中にくわえ煙草をして屋根に上り煙草の火を落としたケース、③石油ストーブの傍で揮発性・引火性のあるゴム糊を使用したケース等々があります。

    2. 失火責任と債務不履行を理由とする損害賠償を請求

    他方、賃貸人が火災を発生させた借家人に対して損害賠償を請求する場合は、賃貸人と借家人との間には賃貸借契約という契約関係が成立しています。借家人は、賃貸人に対し、賃借物を善良な管理者としての注意をもって保管すべき義務(これを「善管注意義務」といいます)を負っています。借家人が過失により火災を発生させ、賃借建物に損傷を与えたことは、不法行為に該当すると同時に、賃借人としての善管注意義務に基づく賃借物の保管義務違反という債務不履行にもなります。
    それでは、賃貸人の損害賠償請求も失火責任法による制限を受けるかというと、失火責任法は、不法行為による損害賠償責任に関する例外規定と解されており(大審院明治45年3月23日判決)、債務不履行を理由とする損害賠償請求には適用されません。

    したがって、賃貸人は失火者である借家人に対して損害賠償請求が可能です。

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