賃貸相談

月刊不動産2011年5月号掲載

いわゆる敷引特約の有効性

弁護士 江口 正夫(海谷・江口法律事務所)


Q

当社は、賃貸住宅の原状回復費用は通常損耗分を含めて賃借人から預かった敷金から一定額を差し引いて処理しています。このような敷引特約は法的にも有効と考えてよいのでしょうか。

A※記事の内容は、掲載当時の法令・情報に基づいているため、最新法令・情報のご確認をお願いいたします。

  • 1.敷引特約と消費者契約法

     一般に、契約当事者間で合意した内容は、それが公序良俗に反したり、あるいは強行法規に反するものでない限り、契約自由の原則に基づき有効と解されています。敷引特約も、当事者が敷金ないしは保証金から一定額を控除することを合意した以上、有効であると解されていました。しかし、平成13年4月1日、消費者契約法が施行され、同法第10条では、民法や商法等の公の秩序に関しない規定を適用した場合に比べて、消費者の権利を制限し、または義務を加重する特約で信義則に反し、消費者の利益を一方的に害する特約は無効とする旨が規定されています。

     民法の規定では、賃借人は通常損耗については原状回復義務を負わず、敷金や保証金から通常損耗の回復費用は差し引かれることはありません。ところが、敷引特約では、通常損耗の回復費用を敷引金として敷金や保証金から差し引くものですので、民法の原則に比べると消費者である賃借人の義務を加重していることになります。そして、これが信義則に反し、消費者の利益を一方的に害するものと評価されれば、敷引特約は無効と解されることになります。つまり、敷引特約は、消費者契約第10条に該当するか否かが問題点とされてきたものです。

    2.敷引特約の有効性に関する裁判所の判断

     これまで簡易裁判所や地方裁判所、高等裁判所で敷引特約の有効性が争われてきました。敷引特約は消費者契約法のもとでも無効となるものではないとの判決の一方で、敷引特約は信義則に反し消費者の利益を一方的に害するものであるから無効であるとの判決も出されており、裁判所の判断は分かれていました。

     最高裁は、平成23年3月24日、敷引特約の有効性について初の判断を示すに至りました。事案は、家賃月額9万6000円、保証金40万円の建物賃貸借で、保証金については賃貸期間が1年未満の場合は敷引金を18万円、2年未満は21万円、3年未満は24万円、4年未満は27万円、5年未満は30万円、5年超は34万円とし、通常損耗に対する原状回復費用は敷引金をもって当てることが定められています。敷引金の額が賃貸期間の長短に応じて月額賃料の2倍弱から3.5倍強程度に設定されていますが、重要事項の説明が契約の4週間前になされている事案についての判決です。

     最高裁は、①賃貸借契約に敷引特約が付され、賃貸人が取得することになる金員(いわゆる敷引金)の額について契約書に明示されている場合には、賃借人は、賃料の額に加え、敷引金の額についても明確に認識した上で契約を締結するのであって、賃借人の負担については明確に合意されている。
    ②補修費用に充てるために賃貸人が取得する金員を一定の額とすることは、通常損耗等の補修の要否やその費用の額をめぐる紛争を防止するといった観点から、あながち不合理なものとはいえず、敷引特約が信義則に反して賃借人の利益を一方的に害するものであるとは直ちにいうことはできない。
    ③もっとも、消費者契約である賃貸借契約においては、賃借人は、通常、自らが賃借する物件に生ずる通常損耗等の補修費用の額については十分な情報を有していない上、賃貸人との交渉によって敷引特約を排除することも困難であることからすると、居住用建物の賃貸借契約に付された敷引特約は、当該建物に生ずる通常損耗等の補修費用として通常想定される額、賃料の額、礼金等他の一時金の授受の有無及びその額等に照らし、敷引金の額が高額に過ぎると評価すべきものである場合には、
    当該賃料が近傍同種の建物の賃料相場に比して大幅に低額であるなど特段の事情のない限り、信義則に反して消費者である賃借人の利益を一方的に害するものであって、消費者契約法10条により無効となると解するのが相当である、と判示の上、当該事案については、敷引金の額が賃貸期間の長短に応じて月額賃料の2倍弱から3.5倍強に設定されており、賃貸人は更新料の他には礼金等の一時金等を徴収していないこと等からすると、未だ信義則に反し消費者の利益を一方的に害するものとまではいえないとして、当該敷引特約を有効と判断しています。敷引特約の有効性を判断する上で重要な判決といえるでしょう。

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