賃貸相談

月刊不動産2016年12月号掲載

譲渡権利付公正証書の利害得失

江口 正夫(海谷・江口・池田法律事務所 弁護士)


Q

 店舗の賃貸に当たり、テナント側から契約は譲渡権利付の公正証書でお願いしたいと言われました。譲渡権利付の賃貸借契約の場合、どのような点に注意しておかなければならないのでしょうか。

A※記事の内容は、掲載当時の法令・情報に基づいているため、最新法令・情報のご確認をお願いいたします。

  • Answer

     譲渡権利付の賃貸借契約では、賃借人が賃借権を賃貸人の承諾なく譲渡することができますので、賃貸人は、前賃借人の延滞賃料支払債務や敷金・保証金の返還請求権を賃借権の譲受人が承継することを譲渡承諾の条件とすることができません。このため、賃貸人は特約のない限り敷金・保証金を直ちに返還しなければならなくなります。ただし、造作買取請求権は承継されることになります。

  • 賃借権の譲渡に関する民法の原則

     民法は、「賃借人は、賃貸人の承諾を得なければ、その賃借権を譲り渡し、又は賃借物を転貸することができない。」(民法第612条第1項)と定め、「賃借人が前項の規定に違反して第三者に賃借物の使用又は収益をさせたときは、賃貸人は契約の解除をすることができる。」(民法第612条第2項)と定めています。

     この規定は、賃貸借契約が継続的な契約であり、当事者の信頼関係を基礎とするものであるため、賃借人が賃借権の無断譲渡や無断転貸をすることを禁止したものです。従って、一般的に、無断譲渡・転貸は賃貸借契約の解除事由であるとされています。

     これに対し、御質問の譲渡権利付公正証書による契約は、賃借人が賃借権を譲渡することをあらかじめ包括的に承諾するのと同じ効果を持つことになります。

     賃貸人としては、所有物件の賃借人は自ら選定したいと考える際には、これには応じ難いということになりますが、賃借人の個性にはこだわらないという場合でも、譲渡を自由に認めるか否かについては、これ以外に検討しておくべき事項があります。

  • 賃借権の譲渡と前賃借人の延滞賃料債務の処理

     賃借人は、賃貸人に対し賃貸目的物を使用収益させるよう請求する権利を有するとともに、賃料支払債務その他の賃借人としての義務を負っており、賃借権は、このような「賃借人としての地位」を意味することになります。賃借権の譲渡は、賃借人としての法的地位を、同一性をもって移転することであり、これにより、前賃借人の地位は譲受人に移転し、前賃借人は賃貸人との間の賃貸借契約関係から離脱することになります。

     前賃借人の有する「賃借人としての地位」が同一性をもって移転するのであれば、賃借権の譲受人は前賃借人の滞納賃料支払債務も当然に承継するのかといえば、そうではないことに注意する必要があります。「賃借人の地位」の移転とは、賃貸目的物を使用収益させることについての基本的な契約関係の移転であって、賃貸人と前賃借人との間で既に発生した具体的な金銭支払債務(滞納賃料支払債務)は、あくまで当事者間の債権・債務であり、このように既に具体的に発生した延滞賃料債務までが賃借権の譲受人に承継されるわけではありません。従って、譲渡権利付の賃貸借契約を締結すると、譲渡承諾の機会がありませんので、承諾の条件として前賃借人の延滞賃料債務を賃借権の譲受人に承継してもらう余地はありません。

     これに対し、譲渡権利付ではなく、通常の賃貸借契約であれば、賃借権の譲渡には賃貸人の承諾が必要となりますので、賃貸人としては、承諾の際に賃借権の譲渡を承諾する代わりに譲受人が前賃借人の延滞賃料を支払うことを求めることも可能です。

  • 賃借権の譲渡と敷金・保証金返還請求権等の処理

     前賃借人の有する「賃借人としての地位」が同一性をもって移転するといっても、前賃借人が預託した敷金・保証金返還請求権も同じく賃借権の譲受人には承継されません。

     最高裁は、賃借人が交替した場合でも、新たな賃借人に対して敷金返還請求権を譲渡する等の特段の事情がない限り、敷金返還請求権は新賃借人には承継されないとの判断を示しています(最高裁昭和53年11月22日判決)。従って、譲渡権利付の賃貸借契約を締結して敷金や保証金の返還について何も特約をしないとすると、敷金・保証

    金返還請求権は賃借権の譲受人には承継してもらえないことになります。これに対し、譲渡権利付ではなく、通常の賃貸借契約であれば、賃借権の譲渡には賃貸人の承諾が必要となりますので、賃貸人としては、賃借権の譲渡を承諾する代わりに譲受人が前賃借人の預託した敷金・保証金をそのまま継承することを求めることができます。

     なお、借地借家法に定める造作買取請求権は賃借権の譲受人に承継されると解されていますので、造作買取請求権の放棄特約のない場合はこの点についても注意する必要があります。

  • Point

    • 譲渡権利付賃貸借契約は、賃借人が、改めて賃貸人の承諾を得ることなく、賃借権を譲渡できる契約です。
    • 譲渡権利付賃貸借契約の場合は、承諾の機会がないので前賃借人の延滞賃料債務を、賃借権の譲受人に承継してもらえません。
    • 譲渡権利付賃貸借契約は、承諾の機会がないので特約がなければ、前賃借人が預託した敷金や保証金返還請求権を賃借権の譲受人に承継してもらえません。
    • 譲渡権利付賃貸借契約は、特約がなければ、賃借権の譲受人は前賃借人の有していた造作買取請求権を承継します。
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