賃貸相談
月刊不動産2006年1月号掲載
賃借人による賃料供託の有効性
弁護士 江口 正夫(海谷・江口法律事務所)
Q
アパートの賃料が昔から値上げをせずに低額のままでしたので、入居者に賃料の増額を請求したところ、入居者の側が慌てて賃料を供託してしまいました。賃貸人としては供託金を受領するしか方法はないのでしょうか。
A※記事の内容は、掲載当時の法令・情報に基づいているため、最新法令・情報のご確認をお願いいたします。
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1. 賃料の供託の有効性
賃借人が、賃貸人とのトラブルから、賃料を法務局に供託するというケースは少なくありませんが、供託はどんな場合でもできるというわけではなく、法律で認める一定の場合にしか有効に供託することはできません。
賃借人が有効に供託できるのは次の3つの場合とされています(民法494条)。(1) 賃貸人が賃料の受領を拒絶した場合
供託の原因となる「受領拒絶」とは、賃借人から適法な弁済の提供がなされたにもかかわらず、賃貸人がこれを受け取るのを拒否した場合をいいます。弁済の提供とは、原則として、賃料を現実に持参して、その受取りを求めるのがこれにあたります。この弁済提供がなされたにもかかわらず、賃貸人が賃料の受取りを拒否した場合がこれに該当します。
なお、賃貸人があらかじめ賃料の受領を拒絶し、たとえ賃借人が賃料を持参しても、賃貸人がこれを受領しないことが明白な場合には、弁済の提供をしなくとも供託は有効であると解されています。(2) 賃貸人の受領不能
賃貸人の所在が不明であるという場合がこれにあたります。しかし、賃借人が簡単に賃貸人の新住所を知ることができるのに、何の調査もしなかったという場合には受領不能にはあたらないと解されています。(3) 債権者(賃貸人)の不確知
これは賃貸人の所在地が確知できないという場合ではなく、そもそもだれが賃貸人であるかが分からないという場合です。賃貸人が死亡した場合で、だれが相続人であるかが全く分からないケースがこれにあたります。債権者が分からないという意味で、賃料債権が二重に譲渡されたが、どちらが優先するのか分からないという場合も含まれます。2. 賃料の増額請求と賃料供託の可否
賃貸人が賃料を増額した場合に、上記の供託の要件を満たすかというと、上記の(2)の賃貸人の受領不能にはあたりませんし、上記(3)の賃貸人を確知できない場合にもあたらないことは明らかです。
問題は、賃貸人が賃料の増額を要求したことは前記(1)の賃料の受領拒絶に該当するか否かです。しかし、御質問のケースは、従来から賃料が低額だったことから賃料の増額請求権を行使しただけのことで、賃貸人は賃料の受取りを拒否したわけではありません。
賃借人は、増額が納得できないと考えた場合には賃借人が相当と考える賃料額 (通常は従前の賃料額) を支払えば足りると解されていますから、賃料の増額を請求されたということ自体は供託の原因となるわけではありません。したがって、賃料の増額自体を理由とする供託は認められていません。この場合でも、実務的には、賃借人の供託書の書き方によっては法務局での供託が受け入れられてしまう場合がありますが、供託は法的には無効です。
3. 賃料の一部として受け取ることと受領拒絶の関係
問題となるのは賃貸人の増額請求にもかかわらず、賃借人が従前の賃料額を持参したのに対し、賃貸人が賃料の一部として受け取ると述べ、賃借人がこれに異議を唱えた場合です。
借地借家法では、賃料増額請求がなされた場合、賃借人は相当と考える賃料を支払えば足りるものとされていますので、賃借人が持参した従前と同額の賃料は賃料額の全額として持参されていることになります。賃貸人が、それを賃料の一部として受け取るとの異議をとどめることなく受領してしまえば、賃料の全額として受け取ったものとして増額請求を撤回したと言われかねません。そこで、賃貸人としては、従前の賃料額に対し、A これを賃料の全額として受け取り、増額請求を撤回するか、B 賃料の一部として受領する旨を告げて、その旨の領収証を発行するか、C 賃料の受領を拒絶するか、のいずれかしか方法がありません。
しかし、A は現実的ではありませんし、B は賃借人が了承しない場合がほとんどどでしょう。判例でも、賃貸人が増額請求をした場合に、賃借人が相当額として提供した賃料について、賃貸人がこれを内金として受領するという態度を示したことが「受領拒絶」にあたるとして、賃借人のした賃料の供託を有効としたものがあります。この場合には供託金から受け取るしかありません。