賃貸相談

月刊不動産2010年6月号掲載

ピッキング被害とオーナー責任

弁護士 江口 正夫(海谷・江口法律事務所)


Q

当社所有の賃貸ビル内でピッキングによる盗難が発生しました。被害に遭ったテナントは借主の安全を配慮する義務が貸主にあると主張して、当社に損害賠償を請求しています。応ずる必要があるのでしょうか。

A※記事の内容は、掲載当時の法令・情報に基づいているため、最新法令・情報のご確認をお願いいたします。

  • 1.ピッキング被害と賃貸物件の管理

     そもそもピッキングによる盗難の被害は、窃盗犯人による窃盗という刑法上の犯罪行為によって発生したものです。したがって、盗難による被害の賠償は、窃盗行為を行った加害者である窃盗犯人に対して請求するのが本来的な姿のはずです。

     しかし、実際にピッキング被害に遭遇したテナントからすると、窃盗犯人がいまだに捕まっていない、あるいは犯人が捕まえられたとしても被害の賠償能力がない等という事情から、窃盗犯人に対して損害賠償請求をしても実質的な意味がないと考えられるケースが少なくありません。

     そこで、テナント側からは、ピッキングにより盗難被害に遭うことのないような厳重な鍵を取り付け、入居者の身体と財産の安全を確保するのは賃貸人としての義務ではないかと主張して、貸主側にピッキングによる盗難の被害についての損害を請求しているケースがみられるのです。

     このように、建物賃貸借契約を締結することにより賃貸人は、賃借人の財産を盗難から保護すべき管理義務が発生するか否かが、ここでの問題点となります。

    2.賃貸借契約から発生する賃貸人の義務

     建物賃貸借契約を締結すると、賃貸人は賃貸目的物たる建物を賃借人が使用収益できる状態にして提供する義務を負います。賃借人は、建物を使用収益することの対価として賃料を支払います。民法の定める賃貸借の内容は以上のものであり、賃貸人の義務の基本は賃借人に建物を使用収益させることのはずです。

     これ以上に、賃貸人に賃借人の財産を盗難から保護すべき義務が導き出されるのか否かについては、東京地裁平成14年8月26日判決がその点に関する判断を示しています。

    〔事案の概要〕

    上記判決の事案は、近隣でピッキング被害が発生していた貸ビルにおいて、実際にピッキングによる盗難が発生したところ、テナントが貸ビルの賃貸人に対して、

    ① 賃貸人は、賃貸人としての管理責任の一環として賃借人に防犯の注意を喚起する義務がある、

    ② 賃貸人は機械警備を導入するか、ピッキング被害に遭いにくい鍵に交換する等の被害防止策を講ずる義務がある、

    と主張し、盗難による被害は賃貸人が賠償すべきだとして訴えを提起したものです。

     この事件では、建物の賃貸人は、賃借人が所有する財産を盗難等から保護をする義務を負うものであるのか否かが争点の一つとなりました。

     判決は、そもそもテナントが主張するような、賃借人所有の財産を盗難等から保護することを内容とする管理義務は、賃貸借契約から当然には導かれるものではないとの判断を示しました。

     判決は、そのような財産の管理義務は、賃貸借契約により発生するのではなく、当事者間でその旨の特約を結んだ場合や、信義則上、賃貸人がテナントの財産権を確保すべき義務を負う特別の事情がある場合に限り認められるものだとしています。確かに建物賃貸借契約は、建物を使用収益させることが賃貸人が負担する契約上の義務なのですから、この判断は極めて常識的であり妥当なものと考えられます。

     その上で判決は、この事件においては、賃貸人とテナントとの間で、貸室の防犯について格別の合意をした事実はないことを認定し、当事者間において、賃貸人に特別の防犯に関する義務を負担させる旨の特約は存在しないことを認定しました。

     さらに、本件の建物賃貸借契約には「地震、火災、盗難その他賃貸人の責めに帰することのできない事由によって賃借人の被った損害に対しては賃貸人はその責めを負わないものとする。」との規定があることを指摘して、かかる契約条項からしても、賃貸人が格別に盗難被害を防止する義務を負うような特別な事情は認められず、本件建物の入口扉がダブルロックであり、一応の防犯効果が期待できたこと等の事情から、賃貸人は既存の鍵を管理すること以上に賃借人の盗難被害を防ぐべき義務は負っていないと解するのが相当であると判断しています。

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