不動産業者のためのコンプライアンス

 第1回   「コンプライアンス」の意義

法令遵守だけでなく、社会が求める道徳も守る必要がある

これから何回かに分けてコンプライアンスについてのお話をさせていただきます。

まず、第1回は、「コンプライアンス」の意義というお話から始めましょう。

「コンプライアンスとは“法令遵守”じゃないか。分かっているよ」と言われる方もいらっしゃると思います。でも、そうであるなら、わざわざ分かりにくい英語にしなくても日本語で“法令遵守”と言ったほうが分かりやすいですね。なぜそうしないのでしょうか? アメリカから来た考え方だからですか? そんなことはないですね。日本にだって昔からありましたよね。法令を遵守しなければならないという考え方は。

私は、コンプライアンスとは“法令遵守”という側面だけではなく“企業倫理の確立”という重要な側面を併せ持った言葉だと考えています。

人は、社会的存在として、社会で生きていく限り、その社会のルールに従わなければなりません。日本は法治国家ですから、みなさんは日本にいる限り、日本の憲法、法律、政令、規則等に従う義務があります。これが遵法精神ですね。

コンプライアンス違反倒産の推移 それでは、憲法、法律以下のルールだけを守っていればよいのでしょうか。憲法、法律以下のルールは、遵守しなければならない最低限の決まりにすぎないのです。 遵法精神を超えて、人には道徳心というものがありますね。親孝行をする、目上の人を敬う、挨拶をする、困った人を助ける、人が亡くなれば喪に服するなどなど…。こうしたことこそ社会の一員としての基本的ルールです。ただ、道徳を守らないからと言って、直ちに、法律違反にはなりませんから法的に処罰されることはありません。でも、社会から非難される恐れはあります。となると、社会で生きていくためには、その社会が求めている道徳も守っていく必要があるということになりますね。

同じように、企業も、社会的存在として、社会で活動していく限り、その社会のルールに従わなければなりません。ここでいうルールとは、事業を規制している法律、政令、規則等だけではなく、業界の自主規制基準や申し合わせ、そして企業の定款や規程等、それに企業行動憲章、実践マニュアル等のことです。こうしたルールに従って事業を展開していかなければいけません。これが法令遵守です。

では、こうしたルールに従って事業活動を行っていれば、それで十分でしょうか。そんなことはありません。そのルールというのは守らなければならない最低限の決まりにすぎないからです。つまり、人に道徳心が求められるように、企業にも法令遵守を超えて倫理観が求められるのです。これが企業倫理の確立です。

そこで、みなさんには、

コンプライアンス =“法令遵守”+“企業倫理の確立”

と考えていただきたいのです。

JR福知山線事故にコンプライアンス違反はなかった?

JR福知山線事故 まず1つ目。死者107 人、負傷者500 人以上の大惨事となったJR 福知山線脱線事故(2005年4月25日)に際して、たまたまその列車に乗り合わせていた社員がそのまま現場を離れ出社していたことが報じられました。この社員は上司に事故報告をし、その指示に従って出社したのです。法令になんら違反していません。でも、救助活動を行わなかったとして非難されました。ほかにも、JR西日本の社員多数が、事故当日、ゴルフコンペ、ボウリング大会、飲み会、旅行等の行事に参加していたとして非難されました。大きな組織ですから、たまたま事故当日が社内行事と重なった職場があったものと想像します。社内行事ですから、きちんと届出をしているはずです。法令遵守しているのです。コンプライアンスが、“法令遵守”だけを意味するのなら、この事例にはコンプライアンス違反はなかったといえるでしょう。

しかし、ここで問われているのは法令遵守ではなく、企業倫理です。なぜ助けを求める大勢の人たちを前に救助活動をしなかったのか、なぜそうした指示が上司からなされなかったのか、なぜ多数の死傷者が出ている事故当日に、自分たちの楽しみ=レクリエーション活動を優先させたのかという企業倫理の問題なのです。そこにコンプライアンス違反があったのです。

一方、事故現場の多数の近隣企業は、住民の人たちとともに救助活動を行っています。ひょっとして、職務専念義務に違反して救助活動に従事した社員がいたかもしれません。だとしたら、賞賛されたこちらのほうが法令違反です(ただ、近隣の日本スピンドル製造株式会社では、工場の操業を停止し、全社員を集めて直ちに救助活動に当たるよう社長自らが指示したそうです。素晴らしい危機対応です)。

<参考資料>業種別 コンプライアンス違反企業の倒産件数
2005
年度
2006
年度
2007
年度
2008
年度
2009
年度
2010
年度
2011
年度
2011年度
前年度比 構成比
卸売業 12 16 35 30 17 17 33 94.1% 20.8%
建設業 32 36 42 50 22 32 30 ▲6.3% 18.9%
サービス業 10 23 21 24 20 21 26 23.8% 16.4%
製造業 7 12 20 23 16 12 23 91.7% 14.5%
その他 1 3 9 5 5 11 16 45.5% 10.1%
小売業 6 9 12 11 6 12 15 25.0% 9.4%
運送・
通信業
3 2 3 8 5 6 10 66.7% 6.3%
不動産業 3 1 4 5 3 4 6 50.0% 3.8%
合計 74 102 146 156 94 115 159 38.3% 100.0%

帝国データバンク「第8回:コンプラインス違反企業の倒産動向調査」(2012年5月24日)より

企業不祥事が起こったとき、企業倫理が問われる

2つ目の事例です。最近では、どの企業でも、自社の製品やサービスを提供する際に製品そのものやパンフレット、ホームページに必ずといっていいほど「お客様相談室」の案内があります。これは、何も「製品・サービスを提供するに当たってはお客様相談室を設置しなければならない」という法律があるわけではありません。つまり法令遵守のために設置しているのではありません(ただし、消費者基本法には、事業者が苦情処理のための体制整備等に努めなければならない旨の努力義務の規定はあります)。

ネット社会となった現代では、顧客情報の流出・漏洩が後を絶たない 企業がお客様相談室を設置するのは自社提供の製品・サービスに関して、様々な相談、苦情、疑問、修理依頼等が出てくることを想定し、それらに真摯(しんし)に対処しようとする企業倫理の現れです。つまり、企業の良心なのです。そうした情報は、お客様と企業との懸け橋となって、新たな製品・サービス開発にもつながります。

3つ目の事例。今から10 年以上前なら、企業から個人情報(顧客情報)が流出・漏洩しても今ほど社会的に非難されることはなかったでしょう。当時は、名簿屋という業種さえ存在していたのですから。

しかし、みなさんご存じのように、2005年4月に個人情報保護法が施行され、今では企業は、その体制整備と運用に相当なエネルギーを注いでいます。

ところで、この法律の対象は、5,000人以上の個人情報を保有しデータベース等として事業に用いている事業者です。

したがって、ある企業が「うちは4,500 人分の個人情報しか保有していないので、個人情報保護法で定められている個人情報の開示要求や訂正要求などには応じられない」と答えたらどうでしょう。法律的には正しい対応でしょう。法令を遵守しています。

しかし、この企業に、不適切な個人情報の取扱いが原因で流出・漏洩事案という企業不祥事が発生していたとしたなら、社会はどういう反応を示すでしょうか。企業倫理の確立という観点からは、4,500 人分の個人情報しか保有していないとはいうものの、社会的責任を果たすべきではないかと非難されるおそれがありますね。コンプライアンス違反のおそれありといわざるを得ないでしょう。つまり、社会は、企業不祥事の発生によって、その企業に対して法令上の対応よりも企業倫理上の対応を求めてくるおそれが高いということなのです。

変化する時代に対応できる“時代認識”が重要

結局、重要なことは、法令遵守という側面よりも(法令遵守は当然のこととして)むしろ企業倫理確立の側面ではないかと私は思っています。

この企業倫理は、もうみなさんお分かりのように、社会とのかかわり(社会的要請)から生まれてくるものです。したがって、社会を無視・軽視すること自体がコンプライアンス違反となる可能性があるのです。「コンプライアンスの根幹は、企業倫理の確立にある」のだということを頭に入れておいてください。

では、社会は、企業にどのような倫理観を求めているのでしょうか。これが次の重要な課題です。

これからは国民意識の変化をとらえる洞察力が必要だ 社会は時代とともに変化します。(10年以上前には個人情報が流出・漏洩しても企業は今ほど社会的に非難されることはなかったと申し上げたとおりです)社会の変化とは、国民意識の変化でもあります。

そうであれば、変化する時代に対するリスク感性や洞察力が必要になりますね。私は、これを“時代認識”と呼んでいます。「これくらいはいいんじゃないか」ということが今通用しなくなっているという社会の変化に気づかないところに判断ミスが生まれ、それが企業不祥事になるというパターンです。企業の利益追求は大切ですが、社会全体の利益を無視・軽視してはいけないということです。長時間労働の高速バス死傷事故では、運輸事業者の社長から運転手に至る関係者が「安全・安心」という社会的要請を無視したツケが多くの犠牲者を伴う重大事故につながりました。

しかし、この“時代認識”は、あくまでも今どのように社会が到来しているのかを見極めるのですから、「時代とともに」洞察するのであって「時代に先んじ過ぎて」もダメなような気がします。

私は、1982 年に刊行された『経済的自由と倫理』(創元社)という書籍の翻訳作業に加わりました。この原書は、1976 年にアメリカで刊行されたもので、ウォーターゲート事件をはじめ、企業の粉飾決算、インサイダー取引、人種差別(公民権運動)、公害問題など、アメリカの政界、経済界で進行中であった腐敗と倫理低下に対する重大な警告書でした。

しかし、当時、この書籍の売れ行きには厳しいものがありました。今なら日本の多くの方々に共感していただけるでしょうが、当時は、まだ早すぎたのかもしれません。

いろいろお話をさせていただきましたが、では、「今の時代をどう見ているのか」、つまりコンプライアンスの各論判断を左右する私の“時代認識”について、最後に簡単に触れておきましょう。

1つは、全般的な流れとして、東日本大震災、福島第1 原発の放射能汚染等から、「安全・安心を最優先に求める社会」です。

2つは、政治・経済的に長期閉塞化する社会情勢の影響を受け、「“自分さえよければ”という内向き志向の市民社会」です。「社会に迷惑をかけてはいけない」という道徳心や倫理観が希薄化しているのではないでしょうか。

3つは、円高、電力不足、高齢化、増税など企業環境が一段と厳しさを増す中で、企業は生き残りをかけ新たな展開を模索しているものの、「“どんなことをしてでも企業利益を優先しよう”といった誘惑が生まれやすい不安定な社会」です。

4つは、ツイッター、Facebook など費用制約のない全地球的コミュニケーション手段の普及により、「情報の発信と評価が多様化・スピード化した社会」です。

5つは、企業に対し、より強い規範を求め「消費者をないがしろにする不正行為(不祥事)を許さない社会」です。特に、不祥事を起こした企業に対する事後制裁が強まっているように感じます。

次回は、「コンプライアンスと危機管理経営」について、お話をします。

ホーム 協会について 一般のお客様はコチラ 開業・入会をご検討の方へ