賃貸相談

月刊不動産2016年8月号掲載

賃料滞納による契約解除と相殺

江口正夫(海谷・江口・池田法律事務所 弁護士)


Q

 賃料滞納が3か月分の45万円に達したので、催告の上、建物賃貸借契約を解除しました。賃借人は、自分の亡父親が私の亡父に対して50万円の貸付金があり、貸付金と滞納賃料を相殺するので解除は無効だと言っています。相殺により賃貸借契約の解除は無効となるのでしょうか。

A※記事の内容は、掲載当時の法令・情報に基づいているため、最新法令・情報のご確認をお願いいたします。

  • Answer

     建物賃貸借契約は、賃借人の賃料滞納が3か月に達すれば、原則として、信頼関係を破壊するに足りる債務不履行があると判断され、賃貸借契約を解除することができます。他方で、賃借人が賃貸人に対して債権を有する場合には、賃借人は滞納賃料債務と債権とを相殺することができ、相殺の意思表示により賃料債務は遡って消滅しますが、既になされた解除の効力は覆りません。これは、賃借人が催告を受けた時点では賃貸人に対する債権の存在を知らなかった場合でも変わりはありません。

  • 賃料滞納と賃貸借契約の解除

     賃借人の建物賃貸借契約に基づく義務のうち最も基本的かつ重要な義務は賃料支払債務です。賃料を1か月でも滞納することは賃貸借契約における賃借人の義務違反となりますが、わが国の判例は、賃貸借契約のような継続的な契約関係においては、賃借人の債務不履行が当事者間の信頼関係を破壊するに足りるようなものでない限りは契約を解除することができないとする、いわゆる信頼関係破壊理論をとっており、1か月分の賃料滞納では原則として賃貸借契約の解除は無効であると解されています。それでは何か月分の滞納があれば解除が有効と認められるかですが、最近の裁判例では3か月分以上の滞納がある場合は、解除を有効と認めるケースが多いと思われます。

  • 賃借人による滞納賃料との相殺の意思表示

     質問のケースでは、賃借人の亡父親が、賃貸人の亡父親に対して貸付金があったとのことです。どちらも父親が亡くなっており、現賃借人が貸付金債権を相続し、現賃貸人が貸付金債務を相続しているとした場合には、現賃借人は、現賃貸人に対して、50万円の貸付金を支払えとの請求が可能です。そこで、賃借人が賃貸人に対して負担する45万円の滞納賃料債務と、賃貸人が賃借人に対して負担する50万円の貸付金支払債務とを相殺すれば、賃借人は、相殺により、45万円の滞納賃料債務の支払いを免れることができます(民法第505条第1項)。その上で、残額の5万円を賃貸人に請求することができます。

  • 同種の債権・債務の相殺の方法

     当事者が、互いに同種の債権・債務を持ちあっている場合には、それぞれの債権・債務の弁済期が到来しているとき(これを、双方の債務が相殺に適するようになった時という意味で「相殺適状」といいます。)は、当事者は相殺が可能になりますが、相殺の方法については、民法第506条は、「相殺は、当事者の一方からの意思表示によってする。」と定めており、相殺の意思表示がなされて初めて相殺の効果が生ずるものとしています。

  • 相殺の遡及効

     民法第506条第2項は、「前項の意思表示は、双方の債務が互いに相殺に適するようになった時に遡ってその効力を生ずる。」と定めています。「前項の意思表示」とは相殺の意思表示のことですが、相殺の意思表示がなされると、相殺適状が生じた時まで遡って相殺の効力が生じるとしているのです。賃借人が相殺に供する債権は亡父親が賃貸人の亡父親に対して有していた債権ですから、その弁済期が解除の意思表示前に既に到来していたとすると、相殺により、解除の意思表示よりも前の時期に遡って相殺の効力が生ずることになります。

     

    相殺の遡及効と賃貸借契約の解除の関係

     相殺に遡及効があることからすると、賃借人の相殺により、滞納賃料は、賃貸人が解除の意思表示をするよりも前の時期に遡って効力を生じるのだから、賃貸人が解除の意思表示をした時点では、賃借人の滞納賃料支払債務は消滅していたのではないか、そうだとすると、賃貸借契約の解除は無効となるのではないかとの疑問を生じます。この点につき、判例は、賃貸借契約が賃料不払いのため適法に解除された以上は、たとえその後賃借人の相殺の意思表示により賃料債務が遡って消滅しても、解除の効力に影響はなく、このことは解除の当時賃借人において自己が反対債権を有する事実を知らなかったため相殺の時期を失した場合であっても異ならない。」(最判昭和32年3月8日)としています。解除する時点で債務不履行が存在したという事実自体が変わるわけではないということです。

  • Point

    • 賃貸人は、賃借人の賃料滞納が3か月分以上に達した場合は、原則として、賃貸借契約を解除できます。
    • 賃借人が、賃貸人に対して債権を有する時は、賃借人は、賃貸人に対し、その債権と賃料支払債務とを対当額にて相殺することができます。
    • 相殺の意思表示には遡及効があり、相殺の効果は、貸金債務と滞納賃料支払債務の相殺が可能になった時点まで遡って効力を生じます。
    • 相殺が可能になったのは解除の意思表示前であっても、既になされた解除の効力は覆ることはありません。
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