賃貸相談

月刊不動産2018年4月号掲載

敷金から滞納家賃への充当請求

江口 正夫(海谷・江口・池田法律事務所 弁護士)


Q

 テナントとの賃貸借契約には敷金と滞納家賃の相殺を禁止するとの条項が設けられていませんでした。テナントからは「賃貸人は家賃を敷金から充当できるのに賃借人にだけそれを認めないのは不当だ。3カ月分の滞納家賃を敷金から充当すれば、滞納分は1カ月分の家賃に満たないので契約解除はできないはずだ」と言われています。敷金との相殺を禁止する特約がない場合でも、賃借人からは、滞納家賃の敷金からの充当や相殺はできず、仮に滞納家賃を敷金から充当すれば滞納分は1カ月に満たない場合であっても、賃貸借契約の解除は可能だと考えてよいのでしょうか。

A※記事の内容は、掲載当時の法令・情報に基づいているため、最新法令・情報のご確認をお願いいたします。

  • Answer

     賃貸借契約書に賃借人は家賃を敷金から充当することができないとの条項がない場合、滞納家賃を敷金と相殺できるか否かは、敷金の法的性質により決まることになります。現行民法には敷金に関する規定がなく、敷金の法的性質については、債権質説、停止条件付金銭所有権移転説等、見解は分かれていますが、いずれの説でも、賃貸借契約期間中は賃借人が敷金の返還を求めることができないとされています。これは、賃貸借契約書に充当禁止等の特約があるか否かにかかわりません。そのため、敷金の返還が認められない期間は、賃借人は敷金を滞納賃料に充当したり相殺したりすることはできないことになります。したがって、家賃の滞納が信頼関係を破壊する程度に至っている場合は、敷金からの充当や相殺を考慮することなく、賃貸人は契約の解除が可能となります。なお、2020年4月1日に施行される改正民法のもとでも結論は同じことになります。

  • 1. 敷金の法的性質

    (1)現行民法における敷金の位置付け

     現行民法には敷金に関する規定がありません。意外に思われるかもしれませんが、現行民法には敷金の定義もされていませんし、敷金の返還時期についての定めもありません。賃貸借契約書に、賃貸借期間中は賃借人が家賃を敷金から充当することや、家賃と敷金を相殺することを禁止するとの特約がない場合に、賃借人が家賃を敷金から充当ないしは敷金との相殺を主張することができるか否かは、敷金の法的性質により決定されることになります。敷金の法的性質から、賃貸借期間中であっても、賃借人が賃貸人に敷金の返還を請求できるのであれば、家賃との相殺や、家賃を敷金から充当してくれるよう請求することも可能になるはずです。

     そこで、敷金の法的性質が何かということが問題になります。

    (2)敷金の法的性質に関する見解

     敷金の法的性質については、従来から、いろいろな見解があります。①債権質説、②停止条件付金銭所有権移転説のうちの終了時説、あるいは明渡時説等々です。

    ①債権質説

     敷金とは、賃借人から賃貸人に支払われる金銭であって、賃借人の賃貸人に対する賃料債務や損害賠償債務などの賃貸借契約に基づいて発生する賃借人の債務を担保するために、賃借人から賃貸人に支払われる金銭の返還請求権に質権を設定したものだと考えるもので、質権は賃貸借契約終了後明渡しが完了するまで消滅させることができないという考え方です。

     したがって、この説においては、賃借人は質権の拘束により賃貸借契約終了後明渡しが完了するまで敷金の返還を請求することができません。

    ②停止条件付金銭所有権移転説

     この説は、敷金とは停止条件付で賃借人から賃貸人に対し金銭所有権を移転したもので、このうち終了時説は、賃貸借契約の終了時に、賃借人が賃貸人に負担している債務を敷金から控除してなお残額がある場合に敷金が返還されるというものです。

     また、明渡時説は契約終了後建物を明け渡したときに、賃借人が賃貸人に負担している債務を敷金から控除してなお残額がある場合に敷金が賃借人に返還されるというものです。

     したがって、上記のいずれの説をとっても、賃貸借契約期間中は賃借人は敷金の返還を請求することができないことになります。賃貸借契約期間中は賃借人が敷金の返還を請求し得ない以上、賃借人は、その間、敷金を賃料に充当することはできないことになります。

     同様に敷金返還請求権が行使できない期間は、賃料との相殺も認められません。

  • 2. 賃借人から敷金を家賃に充当することを認めない理由

     賃借人からの敷金を家賃に充当することを認めない理由は、これを認めると、敷金はそれだけ目減りしますので、敷金の持つ賃貸人の賃借人に対する債権のための担保としての機能が弱められるからです。

     また、賃借人が敷金を家賃に充当することを認めることは、賃借人は賃料を延滞しても、遅延損害金を支払うのを回避できることになってしまいます。

     このように賃料の敷金からの充当は賃貸人にとって不利益であるのに対し、賃借人にとっては有利な内容となります。したがって、不利益を被る賃貸人がその充当を認めることは構いませんが、利益を受けるだけの賃借人が一方的に充当を請求することは認められていないと考えることができます。最高裁の判例では、未払賃料と敷金を相殺すると未払賃料が1カ月分にも満たないというケースにおいて、延滞賃料があることを前提に賃貸借契約の解除が認められています(最判昭和45年9月18日)。なお、2020年4月1日に施行される改正民法では敷金の定義規定を設けており、敷金とは賃借人の賃貸借契約に基づく金銭債務を担保する目的で賃借人が賃貸人に交付する金銭であるとし、賃貸借が終了し、賃借人が賃借物を明け渡したときに返還時期が到来するものとしていますので、改正民法においても上記の結論に変わりはないことになります。

  • Point

    • 賃貸借契約期間中、賃借人が家賃を敷金から充当することや、家賃と敷金との相殺を主張することはできない。
    • 賃借人が家賃を敷金から充当ないしは相殺することができない理由は、敷金の法的性質によるものであるので、賃貸借契約書に敷金と賃料の充当や相殺禁止の特約があるか否かにかかわらない。
    • 仮に滞納家賃を敷金から充当した場合に、残る滞納分が1カ月に満たないという場合であっても、家賃の滞納が信頼関係を破壊する程度に至っている場合には、賃貸人は賃貸借契約を解除することができる。
    • 2020年4月1日に施行される改正民法には敷金が定義されたが、改正民法の定義によれば、「敷金とは、いかなる名目によるかを問わず、賃貸借に基づいて生ずる賃借人の金銭債務を担保する目的で、賃借人が賃貸人に交付する金銭をいう」とされ、その返還時期は、「賃貸借が終了し、かつ、賃貸物の返還を受けたとき」とされているので、現行民法と結論は同じことになる。
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